ANTIQUE ERTÉ 1920

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松濤美術館『没後120年 エミール・ガレ展』図録
― 黒いガラスの生成に関する同展監修者の誤謬について

2024年6月

松濤美術館で展覧会「没後120年 エミール・ガレ展 奇想のガラス作家」が2024年4月6日(土)から2024年6月9日(日)まで開催されている。(10月12日~12月15日、徳島県立近代美術館に巡回。) 出展作品は本邦未公開の個人所蔵家のコレクションが中心で、国内外の美術館が収蔵する一級品にも比肩する逸品が数多く含まれており、これらを入手した美術商とコレクターの慧眼には瞠目するばかりだ。

ただ残念なのは、この展覧会の図録『没後120年 エミール・ガレ展』に同展の監修者が牽強付会な解説文を寄せていることである。

周知のように、同監修者はガレの黒いガラスが高島北海の墨絵の影響により生まれたと主張し続けている。(仔細は本稿末尾記載。) 筆者(山根)は過去の逐次刊行誌や展覧会図録のなかで、この高島影響説が誤りであることを数々の反証をもとに指摘しており、2024年1月に上梓した拙著『エミール・ガレ 史料で紐解く、人と作品』(河出書房新社刊)のなかでも、さらに多くの一次資料を交えて詳しく論じている。

同監修者が今回の展覧会図録のなかで再び重ねてしまっている深刻な錯誤を本稿であらためて指摘しておきたい。それらは決して末梢的な問題ではなく、今後のガレの研究において看過できない大切な要素である。詳述(以下PDF)のまえに要点を摘記しておこう。

〇ガレは1886年秋頃、高島北海と出遭っているが、それ以前に墨絵を強く想起させる黒いガラス作品をすでに制作している。その具体例として、1884年制作の脚付杯《夜》や把手付き水差しがある。よって高島の墨絵がガレの「悲しみの花瓶」の生成に影響を及ぼしたとする仮説は時系列的に成立し得ない。さらに、これらの黒いマチエールは中国鼻煙壺の素地にも酷似している。仮にその着想源が墨絵にあったとしても、それは決して高島ではなく、中国伝統の水墨画に由来する可能性が高い。高島との邂逅以前に墨絵風の黒いガラスがガレの作品に存在する事実は、高島影響説の決定的な反証である。

〇これに対し同監修者は当該図録のなかで、「ガレが黒いガラスを使いはじめたのは高島との出会いのあとから、つまり1885年以前のガレは黒をまったくしらなかったかのような論点のすり替えをおこない、それに反論するのは、いわゆる「わら人形論法、ストローマンである。」と記している。しかし筆者(山根)は、単に高島との邂逅以前に「黒いガラス」が存在すると述べたのではなく、「墨絵をより強く想起させる黒いマチエール」の作品が存在すると明確に指摘している。同監修者はこの重要な限定である「墨絵をより強く想起させる」を意図的に削除し、単なる「黒いガラス」へとすり替えている。

〇さらに同監修者は、「色材のひとつとして黒を使った作品が初期からあるのは周知の事実で、39歳になるまでガレが黒を知らず、使ったこともなかったという主張は生まれようもない。」と続けているが、筆者(山根)は、「39歳になるまでガレが黒を知らず、使ったこともなかった」などと主張したことは一度もない。同監修者はそのような整合性のない主張をあたかも筆者(山根)がしているかのように構成して批判しているが、これは紛れもなく虚偽の引用である。相手が言っていない言説をつくりあげて、それを否定するという典型的な「わら人形論法」であり、「わら人形論法」を行っているのは明らかに同監修者自身である。事実関係の摘示を受けて、同ガレ展巡回先の徳島県立近代美術館で販売された図録では問題部分に訂正シールが貼られ、この記述は削除されている。1884年制作の墨絵風黒色ガラスの存在は高島影響説の決定的な反証であり、それを矮小化する引用の切り取りや論点のすり替えは、研究倫理にもとる行為といえる。同時にそれは筆者(山根)の社会的評価を不当に貶めるものでもある。

〇ガレがベルリンに赴いて検分した中国鼻煙壺からの影響に関する考察が恣意的であり、同監修者はここでも引用の不当なすり替えと改変を繰り返して、その影響を過小に印象付けようとしている。同監修者の引用には、原典にない語の付加、原意の射程の拡張、重要語句の削除、影響評価の方向転換が複合しており、これも単なる「解釈の違い」ではなく、意図的な改変、改竄と評価される。学術的にも不適切引用の域を超えており、同様に研究倫理上深刻な問題である。展覧会図録は研究資料として将来に亘って参照される性質を有し、引用の正確性や論拠の明示は重要な要素である。引用の正確性を保ち、客観的な視点から知見を共有していくことが、研究発展のための大切な姿勢である。

〇同監修者はガレが高島の席画を目の当たりにしたという憶測を前提として高島影響説を展開しているが、ガレは高島の席画について何一つ言葉を遺しておらず、ガレがそれを実見したこと自体が明らかにされていない。

〇同監修者による「玉滴石シリーズ」の解釈そのものが根本的に誤っている。 「玉滴石シリーズ」と同監修者が誤って呼んでいる黒いガラス素地のことをガレ自身は「オニキス風」と呼んでいる。これも同監修者が主張する高島の墨絵からの影響説を否定する極めて有力な情報である。

〇同監修者の言う「玉滴石シリーズ」(「悲しみの花瓶」と呼ばれる一連の黒いガラス)に採用されている「ぼかし彫り」のガラス技術自体、ガレが17世紀の中国のガラス技法を研究したことに由来する。これはガレ自身によって、またガレの同時代の美術批評家たちによっても明確に語られている。同監修者はこれらの文献にいっさい言及していない。

〇同監修者の高島影響説の信憑性:
高島影響説は「ガレと高島の間で交わされた会話内容を想定して組み立てた推論である」(1999年平凡社別冊太陽『アール・ヌーヴォー アール・デコ VI』所収「世紀末の蜻蛉 ― ガレとジャポニスム再考」77-79頁)と同監修者は書いており、推論の根拠とされる二者間の会話内容自体がすべて同監修者の空想によるもので、その空想をもとに推論が展開されている。さらに、初出では「推論」であったはずの高島影響説が、後の刊行物の記述においては、何の根拠も示されないまま、定説であるかのような断定的表現に変わっており、いずれも一次資料の渉猟、提起、考証という学術論文としての基礎作業を欠いている。

上記摘記は以下のPDFファイルに詳解があるので参照されたい。

松濤美術館『没後120年 エミール・ガレ展』図録
― 黒いガラスの生成に関する同展監修者の誤謬について(PDF)

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